DNAのある所


北海道での独り言
by tedtoyama
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自己紹介
男 
1996年から11年在住した米国シリコンバレーを後にして、2006年9月から北海道に移住。
パートナー2人と共に新しい生活を始める。
生まれて初めての北海道。
期待いっぱいで突進だ。
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反日デモで思うこと 1(その2はいつかわからん)

大酒飲んでへろへろしてたら、親子で国際情勢に真摯に取り組んでいる立派な方もいらしたのでちょっと経験談を踏まえた想いを少々。
中国の方、韓国の方を中心として、わけのわかんない人たちも混ざっちゃってLAでデモがあった反日問題ですね。中国では遅ればせながら政府が動き出し、沈静化に向かっているようですが。
日本の教科書の歴史的事実に関する表記に対しての憤り、政治家の靖国参拝に対する憤り、領土問題、挙句に戦後賠償問題へと多岐にわたる「いちゃもん」が存在しているようです。
悲しいことです。日本も中国も韓国もなさけない。
1. 日本の情けなさ
自国の青少年育成のための教科書です、正確な史実を言葉足らずにならず、表現にとらわれないで記述してほしい。検定ごと、出版社ごとに表記量や表現が大きく変わるのはおかしい。義務教育期間(高校も同じかな)の学校=教科書=教師は、あまり選択の余地がないのだから。文部省教科書検定要綱に、表現方法はできるだけ諸外国を刺激することなきよう、とあるのはおかしい。これこそわけわからん。

社会に出てつくづく感じたことがある。近代から現代までの歴史こそじっくり学ぶ必要があった。私の世代の10人中10人が答えると思う、近代史なんて3学期になってからはしょっていたのでなんだか煙に巻かれたように授業が終了していた。これじゃあだめだ。経済活動を中心とした近代、現代史こそ一番必要なのだから。

靖国?問題視するのがおかしいのでは?

戦後賠償?しっかり歴史を学びましょう。
政治と教育、しっかりしてくれよもぉー。メディアも悪い。マッチにポンプ報道はやめた方がいい。
小学校のころ地元の子ども会の会長が自衛隊員で、夏休みに一日体験入隊する機会を得た。すばらしい体験だった。ただその日が8月15日だった。新聞が大騒ぎし多数のメディアが取材に来て私もインタビューを受けた。彼らの思惑や興味がわからなくも無かったが、私にとっては何の意味も無かった。大騒ぎだった。隊員の生活やヘリでの救助活動体験
豊かな食事など、いい経験だったがメディアのおかげで記憶の中では汚点になった。

2. 中国、韓国の情けなさ
  
出張で韓国滞在が続いていたころだった。時間を見つけソウル半日観光のバスツアーに出かけた。日本人観光客向けとその他(英語ガイド)の2つの車に分かれていた。その他に便乗してみたが、日本人向けのバスと数箇所同じ場所で出会った以外は別々のルートだった。私にとっては結構強烈な場所だらけだったがいい勉強になった。日本が歴史的に悪者だった。終点でバスを降り、ガイドが一人一人の母国を尋ねながらさよならを言う段階で、私が日本と答えると明らかに怪訝というか、嫌だわこの人、という顔をしていた。

通訳を兼ねた韓国人と胸襟の仲になった(と思った)。彼の家族も紹介してくれ、いろいろとお世話になった。私が、仕事に関係ないところの支払いは割るか、私持ちでお願いします、と言うとそういう日本人は珍しいですと笑っていた(この辺は日本人の商売人が悪いですね)。しかし彼は夕食時から2次会3次会の間(そとづら)はビジネスマンであったが、いつも誘ってもいないのにホテルの部屋までビール掲げて付いてきて、午前3時ころまで話していった。最後の話題は常に伊藤博文か豊臣秀吉だった。興奮してましたねいつも。怒ってました最後は。
かなり本気で、歴史認識もうつろなまま、私あやまりますか?と聞いてしまったことがあった。酔ってたし、もういやだったし、警察の尋問のようだったし、そう聞いた。そしたら「あんたなんかにあやまってもらってもどうしようもない」と言われた。
日本の現代文化、製品は好き、でも日本人は大嫌い、の極めて特異な構図の真っ只中だった。

日本と韓国は、1965年に佐藤内閣と朴政権が日韓基本条約を結び、日本が総額8億ドル以上の経済援助資金提供をする代わりに韓国側は一切の対日請求権を破棄することを確約している。
1951年に米国と締結したサンフランシスコ条約と同じである。
戦後の日米外交はここから始まっており、その後その都度、あの時(対戦時)はどうも、といったことでは口火は切られていない。個人の思い(これが中韓で大きくそれぞれの政府も手を出したがらないので問題なのだが)はいろいろあるのかもしれない。でも韓国の教科書と家庭教育の中には反日教義が多くあるのも事実だ。彼らはそれを反日感情から昇華させてしまっているようにも感じた。

中国、深センから車で数時間の東莞で軍票を見せられた。香港出張で半年行き来していた場所のひとつだった。何とか時間を見つけ地元の民家を数件訪れることができた。香港での知り合いに頼み、遠縁や知人を紹介してもらって田舎を訪問した。そんな中一軒の老夫婦の家でお茶をご馳走になっている時だった。おばあちゃんがいきなり奥に去り再び戻ってきて私に紙切れを沢山見せた。戦時中の軍票だった。
おばあちゃん、おじいちゃん共に、ゆったりと私を出迎えてくれ話をしたが、この時言葉に詰まったのは確かだ。おじいちゃんは左の肩の後ろを見せ、戦争の傷ですわ、と言った。こんな傷で終わった私は運がよかったです、戦争はよくないですと言って笑った。相手は日本軍ですか?と聞くとおじいちゃんはただ笑っていた。おばあちゃんは、ほんとに昔話になったですね、あなたにこれを見せたのも私にはよくわからない行動だったのです。突然ごめんなさいね。でも始めて日本の人に戦争の話ができました。あなたのおじいちゃんかお父さんの時代なのにね。すべては戦争が悪かったのです。人が悪いのではありません、と言っていた。私はお茶をご馳走になりながらなぜか泣いていた。
戦争の話を聞きに言ったのではないのだけど、いつの間にかそんかになっていた。その家の若夫婦(といっても50台半ばであったが)は、私たちがお伺いした際に顔をちらと合わせたが、その後最後まで姿を現さなかった。おばあちゃんがぽつりと言った。あの子達も孫たちも日本人は嫌いなんです。

教育と政治なのかなあ。
中国とは1952年日華平和条約が結ばれている。さらに1972年日中共同宣言で国交を正常化し1978年には日中平和友好条約が締結されている。1952年のそれとの違いは、締結先国の名称が中華民国その後の中華人民共和国の違いである。共同宣言時に、韓国と同じく国際ルールにのっとり、戦後賠償の完全放棄を宣言しているのだ。
上海の国際空港が日本のODAでできたと言っても中国人のほとんどは相手にしてくれない。
数年前、サンフランシスコで前述の日米条約50周年記念行事があり、当時の田中真紀子外相が訪れた。SFOのオペラハウスでだったが、デモはやはりあった。日本軍南京大虐殺で300万人を殺す、のプラカードを掲げて。
当時の南京の人口の10倍以上の人が殺さたことになっていた。
情報だけがどんどん一人歩きしているみたいだ。誰かの後押しと共に。
そんな中国だけど何故か好きなんですね。憎めないというか、そんなに意識するくらいってほんとは気があるのかなって。
なんか全部子供みたいで。

デモはやめましょうね!。
飲めばわかる!(と思う)
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by tedtoyama | 2005-04-25 15:07 | 日記
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