DNAのある所


北海道での独り言
by tedtoyama
自己紹介
男 
1996年から11年在住した米国シリコンバレーを後にして、2006年9月から北海道に移住。
パートナー2人と共に新しい生活を始める。
生まれて初めての北海道。
期待いっぱいで突進だ。
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
定山渓温泉の歴史
from 温泉:定山渓温泉の旅館を紹介..
石狩市浜益のミズダコ
from なまら旨い!北海道。
サンノゼ警察、参上!?(笑)
from 新・恋の話でもしたいところだが。
とにかくやるよ!
from 恋の話でもしたいところだが。
スルッと入国!
from 恋の話でもしたいところだが。
メニューでございます。
from 恋の話でもしたいところだが。
海外で日本のテレビを見よ..
from シンガポール奮闘記
ロケフリってどうかな
from 僕の欲しい本 欲しいもの
まあさん家で楽しく遊んで..
from ◆クリスとピエールの米国滞在..
エンジニアが斬る!今流行..
from 無料メルマガ持ってけ♪情報館..
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2005年 04月 ( 24 )   > この月の画像一覧


リングコッド裁判 後編

知人が釣ったひらめと私のリングコッドが違法であり、釣り上げても生きていれば放流して問題なかったのだが、我々の場合友人と私で全部〆ちゃって(殺して)あったのでもう遅い。
ひらめの知人は全てを理解し、友人をかばうかのように「私が釣って殺しました」と申告した。うーむ!
私の場合自分で釣って〆たわけで、正直申告、言い逃れの余地無しでしたな。
魚の写真取られた後、違反切符切られた。
違反サイズの魚は没収された。
リングコッドはともかくとしても40cmほどの、築地じゃいい値だろうなあの「ひらめ」が消えた。刺身の想いと共に。
釣り上げた直後の〆る前、知人とひらめを撮った写真が残った。
なんだかなぁー、と3人とも拍子抜けしたように力を落とし戦闘意欲ゼロとなって帰宅した。
帰宅後違反チケットをよく見ると、裁判所への出廷日時が記載されていた。
違反日:2001年6月10日 出廷日時:2001年7月5日午前8時30分
場所:サンタクルーズ地方裁判所
となっていた。
DUIの保護観察中にまーた裁判所かよ、まあいくらなんでも留置場はないだろうし罰金以外に他は考えつかないから自分で行くかぁ、と決意した。こんな事で弁護士に依頼してたら経済破綻するし、後学の為にも体験すべぇーと、もうすっかり米国裁判沙汰通になっちゃったかのごとくお気楽モード状態であった。
独立記念日翌日の早朝は、まことにすばらしい天気に恵まれていた。シャワーを浴びコーヒーを飲んだ後、久々にスーツでビシっと決めてやった。裁判所に到着した。ドキュメントケース片手に颯爽と受付に向かった。なめられちゃいけませんからね、検事か判事の気分でいましょうね、お魚盗んだコソドロの気分になってはいけませんね、と胸を張り歩いた。受付で「お魚釣って違反切符貰ったんですけどぉー、どこに行けばいいんでしょうか?」と訪ねた。うーむ、身だしなみと気持ちの持ち様には程遠い、セコイ内容だとちょっと恥ずかしくなった。
「第2小法廷に行ってください。そちらです」おぉー!第2小法廷かぁ、かっこいい。
法廷入り口には合格発表のようなスケジュール表が張ってあった。朝8時から始まっている裁判には20人ほどの名前が記入されていた。いっぱいいるなあと思いつつドアを開けてビックリ。横長の木の椅子が4列ある法廷内は人だかりだった。50人はいますね。親兄弟友人などでしょうか、乳飲み子抱えたメキシカンや今にも麻雀始めそうな中国人やらでごった返していた。スーツ姿は私のほかに白人1人であった。ひそひそ話がほとんどだが、グループが多いので結構騒がしい。「静粛に!」カッツーン、とやって静まり返るような雰囲気でもない。判事もそうしない。
ふーん、へー、と周りを観察していたら突然名前を呼ばれた。「ふぁ、ふぁーい」と返事してよたよた判事の前へ歩み出た。さっきまでふんぞり返って余裕かましていたのだが、一瞬にして「ゆるしてくだせぇ」の罪人モードになっていた。
左に検察官1人、右に記録係りなど2人、正面には判事1人であった。お決まりの宣誓させられて即、罪状認否になった。
「なんだこりゃ?えーっと、リングコッドのサイズがぁー?あー、よく分からんなあ、ま、ともかく規則違反ね!罪認めますか?」と来た。
「はぁー?」っと一瞬引いたが、写真撮られてるし事実なので「はいその通りです、はい認めます、罰金払います(罰金のことは何も言われてない)、今すぐ払います」と緊張しまくって答えた。とその時「オブジェクショーン!!!」と検察官が大きな声で叫んだ。法廷内は静まり返る。私はちびりそうになった。血の気が引いた。なーんで異議あんだよー!お魚一匹〆ただけじゃんか、たのむよぉー!泣きそうになっちまった。
検察官は続けた。判事は罪状を正確に読み上げた後、被告の選択し得る全てのケースについて詳細に説明し認否を問う義務があります。とのこと。俺じゃないのか、判事か、しっかりやれよもー!
判事はあまりの馬鹿馬鹿しいケースと、この後続く多くの判決処理を控えているため、はしょったらしい。結局長々と今後裁判に持ち込む場合はとか、罪を認めない場合はなどの説明を聞いた後「有罪を認めます、罰金払います、全額今払います」と答えると「はいそれじゃこれにサインして」と言われてペーパーを一枚受け取りサインして終わった。
$270の罰金を払って裁判所を後にしたのは午前10時前であった。
[PR]

by tedtoyama | 2005-04-04 10:24 | 日記

リングコッド裁判 中篇

あっという間に午前8時半、釣り始めてから2時間が経過していた。朝日が心地いい。風も無く波は静かだった。カモメが近寄ってくる。近くではアシカが泳いでいる。時折プハァーっと水面に出ては、ぐりぐり体を回転させて気持ちよさそうだ。遠く岸の方を眺めるとサーファーがてんこ盛りだ。うつ伏せになってボードを漕いでいるとアシカのように見える。
しばし手を休めてビールを飲みながら一服する。あぁー!…   言葉にならん。
実は釣りなんてどうでもいいもんね、このまんま、のんびり、のんびり、あぁー!…
寝そべって空を見た。小船に揺られながら、本当にいい日和で、と幸せな気持ちになった。
小腹がすいたのでそろそろ朝飯にすべぇーと、おにぎりやゆで卵を口にした。とその時、波任せ揺れ船任せに放置しておいた竿先が、がくっとしなった。船も少し傾いた。おっ、きたっ!とばかりに竿を手にすると、オ・モ・タ・イ。引っ張られる。「うげぇっ!イカ食ったら何か喉に引っかかっただ!いてぇーだ!クルシーだ!うげぇっ!」と何かが暴れていた。糸を出したり手繰ったりしながら格闘した。隣でも知人、友人が「うわぉ!」「でへー!」っとそれぞれ海語で何やら叫んでいた。3人同時の格闘だ。一人が船首、一人が中間左、私が船尾右とそれぞれバランスしていたが、皆片方に寄ってたら船ひっくり返ったんじゃないの?
そして私、リングコッド釣りました。
50cmくらいで口の大きさが子犬の頭ほどありました。友人は美味しそうなバーミリアン・ロックフィッシュ、そして初体験の知人はなんとひらめだぁー!リングコッドはタラの仲間らしくアメリカ人には人気で、フィッシュアンドチップスのフィッシュに使われるなどしているが、日本人にはちと合わない気がする。以前タラちり、ブイヤベース、ディープフライなど試してみたが美味しいと感じなかった。というか、不味かった。でも釣りあげる、その瞬間の感覚がすばらしいので許す。
うー、さ・か・な、だあ、うりゃー!釣り上げてまーす、そりゃぁー!ってな感じで。
みんなしばし無言だった。はぁはぁと、肩で息しながら満足感でいっぱいだった。
やれやれ、と一服つけると、ん?と気付いた。ちょっと大きめな船がすぐ近くに来ている。
すぅーっと近づいて、その船首を我々の船尾にくっつけるように横付けした。
???
すぐに制服姿のテキパキ隊2人組が、ライセンスを提示してください、釣った魚を見せてください、釣竿の先の仕掛けを見せてください、とたたみ掛けて来た。誰?このヒトたち?と思うまもなく我々3人各人への職務質問と船内の探索を開始していた。ライセンスと釣り糸を確認(針が二つ以上付いている、所謂ダブルフックは違法です。孫バリは大丈夫です)した後クーラーボックスを覗いた。メジャーで魚の寸法を測りながら叫んだ。
「誰がこの魚を殺しましたか?」???
我々3人が手を挙げ、それぞれに私が釣りました、と答えた。彼らはまた同じ質問をした。
「誰がこの魚を殺しましたか?」?
釣り上げた直後、私と友人とで知人の釣ったひらめも含めて生け締めにしてあった。新鮮な刺身で頭がいっぱいになっていて釣った魚はすぐ〆ちゃうのだ。当然である。が、これが問題だった。
違法なサイズ(そのとき初めて知った。キングフィッシュやロックフィッシュはサイズに関係なく一人10匹まで。リングコッドは一人2匹までで一匹が27インチ:67.5cm以上、ひらめも一人2匹までで一匹が22インチ:55cm以上が釣りの対象)ですね?
と問われた。
うそー!
その後、魚を釣ったヒトではなく「魚を殺したのは誰か」が大きな問題となっていった。
[PR]

by tedtoyama | 2005-04-03 07:30 | 日記

リングコッド裁判 前編

生まれて初めて釣りをしてからまだ間もない4年前の夏、シリコンバレーで起業している知人、釣りキチの友人と3人でキャピトーラに出かけた。知人は釣りが今回始めてであった。
キャピトーラは、サンタクルーズから1号線をモントレーに向かって10分ほど南下した場所に位置する小さな海岸沿いの町だ。こことサンタクルーズには釣り船をレンタルできる波止場がある。4人乗りで船外機(エンジン)付きのボートを一日借りて75ドル。カリフォルニア(アメリカ全部?)では自動車の普通免許があればエンジン付きボートやクルーザーを操舵できる。初めて借りた時、約1分のレクチャーを受けただけで海に出た。
「ハイ、エンジン近くに横向きに座ってぇー!ハイ、オフ・前進・後退の切り替えスイッチを前進に入れてぇー!ハイ、左手でアクセルつかんでぇー!ハイ、右手でエンジン始動レバー引いてぇー!ハイ、顔は正面前方を向いてぇー!笑顔でぇー!???OK!Go!」であった。(ほんとに笑顔つくっちゃってちょっと恥ずかしかった)
釣りをするにはライセンスが必要である。といっても一日、一週間、一年、残りの余生分(現在の年齢によって金額が違う)の4種類から選択して購入するだけだが。一日有効で$7.50、一年だと$30くらいである。釣竿や魚群探知機もレンタルできるし、当然餌や仕掛けも売っている。
この日も釣り初体験の知人用にさおを一本借りて、日の出直後の午前6時過ぎに海に出た。
私たちはいつも底釣りを楽しんでいる。浅瀬の底近く、砂地や岩場のお魚を騙すわけですね。
釣り糸を垂れていって、砂地ならトン、岩場ならコツンとオモリの感触があったらちょっと糸を巻き戻し、竿を上下させてオモリを底にあてたり離したりします。するとオモリの上方約一メートルくらいのところから分岐している糸の先の餌が底付近でゆーらゆら、ゆーらゆらします。これを見たお魚は「ゲットォー!」と英語で叫び?ながら狂喜乱舞して喰らい付くわけです。餌は何と冷凍のモントレーイカ。始めは半信半疑だったが、この餌で何でもよく釣れる。砂地ではキングフィッシュ(イシモチ)やハリバット(ひらめ)、岩場ではリングコッド(獰猛な顔つきのネバヌル南国風タラ)やロックフィッシュ(種類が多くカサゴやメバルなど)が初心者でも「うそっ!」と言うくらい釣れる。これ本当の話。散歩するインド人もびっくり。(ひらめは2回に1回くらいのヒット率です。ほかの魚は常に大漁)
この日も早々から3人ともその成果を楽しんでいた。イシモチは、もうやめて!餌が無駄になっちゃう、というくらい掛かった。塩焼きが美味しい。つみれなど、練り物にしてもいい。
ビビッ!と、ちょっと貧相ではあるがまあまあの手ごたえがある。
ちょっと岩場に移動するとメバル、カサゴが釣れた。ビクン!と強い引きがある。糸を手繰るのにも力がいる。私今魚釣ってます!検討してます!なかなか手ごわいです!オッ?抵抗を止めました、諦めた模様です!と海面を覗くと、ぬらーっと姿を現してきた。カサゴだぁー!刺身だ、昆布〆だ!今夜は宴会だ!と今度はこちらが狂喜乱舞するわけです。
楽しい楽しい一日が始まっていった。
3時間後に起こる悲劇など誰も予想してはいなかった。
b0049291_1325932.jpg

[PR]

by tedtoyama | 2005-04-02 13:05 | 日記

道路が語るベイエリア

2005年の今年はどんな変化があるのだろう?まさかフリーウェイ85号線の渋滞が緩和されることは…まず無いだろうなあ。

サウスベイエリアに住んで9年目に入った。いわゆるシリコンバレーと呼ばれる地域に居を移したころ、前述の85号線は、地図上では、工事中およびフリーウェイになりかけ、の表示だった。当時すでに高速道路として開通してはいたが、その後2年もしないうちに現況のような有様になってしまった。ただ、現在も変わらぬ大渋滞は、ドットコム経済崩壊後も堅調な企業は増加し、人の流れや絶対数が変わっていない、ということであろうか。

ちょっと算数をしてみた。
年間どのくらいの距離を運転しているかは、日本に居たころからよくチェックしていたので試しに整理してみると面白い数字になった。
日本 運転歴16年 年間約15,000km走行 合計約240,000km
米国 運転歴 8年 最初の3年 年間約28,000マイル、次の2年 年間約
   18,000マイル、最近3年 年間約22,000マイル
   合計約186,000マイル≒297,600km
日本の半分の期間で、走行距離ではすでに24%も上回っていた。移動手段のほとんどが車であるということ、利用した道路の90%以上がフリーウェイであることなどの理由からであろう。いつの間にかずいぶん走っていたものだ。

ここ数年、ゴールデンゲートブリッジの通行料金が変わったこと以外、相変わらずのフリーウェイと思っていたが、よくよく観察してみると他の一般道も含めて少し変化が見られる。
① フリーウェイ沿いの看板広告(スポンサー)の変化
② フリーウェイ出入り口名が数字になってきている
③ 大型LED掲示板が増え、かつ見やすくなった
④ 交差点などの信号がLEDに変わった
などなど。
最近ではIT関連、20年前はコンピューター関係と呼ばれていた業界に長年携っていた経緯からか、最初にシリコンバレーを訪れた際の驚きと興奮は未だに忘れていない。至る所にあるわ、あるわ!日本で見、手にした最先端の製品や技術を生み出した会社、その本社が。あれから8年経った。当時、高速道路脇の広告看板に最新のMPUスペックやメモリ、HDの容量が誇らしげに掲げられていたのが懐かしい。今その看板はオークランド・アスレチックスとファーストフードチェーン店のそれなどに変わっている。(ただしiPod広告は昨年あたりから健闘しているが)半導体の集積度合いは現在もムーアの法則に沿って進化を続けているようだが、それを生み出す産業の、一地域への急激な集積には限界があったようだ。毎晩のように催された、投資家集めのための新技術・新企画発表パーティーのおかげで、現実と虚の区別がつかなくなっていた時代は終わった。一度熱からさめたこの地は、今度は堅調な進化を遂げるべく再編が急速にしかも静かに進んでいるような印象を受ける。

カリフォルニアがそうなっていない唯一最後の州?と聞いてはいたが、フリーウェイの出入り口名を数字にすることが2002年に決定した。オレゴン州やワシントン州を訪れるたびに、違和感とまでは行かないまでも気になっていた高速道路の出入り口名。実はカリフォルニアが特別だったわけだ。南北の路線を中心に、すでにかなり数字になって来ている。三千万ドルをかけて、州内92の高速道路の5,800の出入り口を対象に、23,000箇所のサインを新調しているようだ。exit名には、その街や都市に持つような愛着があったので少し残念ではある。

ベイエリアの道路脇や街並みを飾る電光掲示板について。数が増えた上に格段に見やすくなって来ている。眩しいほどの日差しを受けても、逆光であっても、はっきり見ることができる。LED(Light Emitting Diode:発光ダイオード)のおかげである。もう少し詳しく説明すると、高輝度青色LEDのおかげである。光の3原色である赤・緑のLEDはあったが、青が無かった。その青ができたおかげで、白色ができ、各色が高輝度になり太陽光にも負けない日中電光掲示が可能になったわけである。これらLEDは信号機にも採用されていて、ベイエリアではもう少しですべての信号がLEDに置き換わるようだ。

2003年から2004年にかけては、880号線のブローコウ<->モンタギュー間が3車線になり、101号線のコヨーテクリーク近辺がなんと2車線から4車線になった。これらの区間は私が知っている限り常に渋滞していた箇所であり、今やそれがほとんど無くなってしまった。現在は101号線と85号線のマウンテンビュー・ジャンクション拡張工事とノーマン・ミネタ・サンノゼ国際空港南側の880号線拡張工事が急ピッチだ。空港西側の87号線、通称ガダルーペ通りも昨年改修工事を終えエクスプレス・ウェイから信号の無いハイウェイになった。

まだまだ問題を多く抱えている地域ではある。しかしながらこうやって改めてある角度からベイエリアを眺めてみると、技術の進歩や経済の動きがよく見え、その時々での変化に柔軟に対応し、かつ緩やかではあるが前進を続けている様子が理解できる。
[PR]

by tedtoyama | 2005-04-01 12:14 | インフラ